コラム

事実をありのままに伝える、駅長日記をお届けします。

外側から見ていた時代

小椋駅長の当時、道の駅は、外側から見ていて、まだ、少しは活気を感じていたでしょうか。古くは、温泉を掘って、もしかしたら、道の駅で温泉をやったかもしれないと、夢のある話を聞いては興奮したものです。静かな道の駅も、時代に合わせた成長が必要で、何も知らない僕は、コンビニ化が良いと勝手に思っていたものです。

風の噂に、資金面で苦労していると聞いた頃、高橋駅長に交代して、会長も、中山昇平さんになりました。株主は、射添の谷にたくさんいて、資本金は、800万円ほどあったものの、切り崩している、もう、後がないという話で、大変らしいという感想。株主でもない自身には無関係、対岸の火事です。大変な苦労が続いていたでしょう。

高橋駅長の就任、味取の役員も卒業して、一本で勝負すると聞いた僕は、高橋さんがうまく辞めていくと感心したし、心意気を理解したものです。時折、顔を出して、ホームページを立ち上げたのも、高橋駅長の時代です。資本金は、200万円にまでなり、歯止めをかけるため、商工会の支所長であった高橋さんの手腕が発揮されていました。

しかし、高橋駅長もいよいよ卒業になります。会長が岡本廣治さんに代わっていました。阿瀬駅長が一番最初にアルバイトへ来たのも当時で、駅長不在の数日が過ぎていきましたが、ある日、面接に来るという田渕駅長、同席して話も聞きました。若い彼だから、きっとうまくやれると、楽観視していた部分も多かったでしょうか。

田渕駅長の時代

観光にも馴染みがあり、金の計算までできる彼は、ワンオペもやってのけて、店内の雰囲気もどんどん良くなりました。若さゆえのマンパワーが大いに発揮されたのです。レジ前の素晴らしい標識型の案内は、土木に勤める祖父の姿を見ていたからでしょうか。確実に良くなっていき、様々なメニューが誕生していたようにも見えました。

一方で資金繰りには大変な苦労があったのでしょう。ついには辞めたいと話を聞くはめになり、何とか頑張れと励ましてきたのです。仲村正彦会長に交代し、少しはやりやすくなったか、ファームガーデンの田丸社長に力を借りて、新メニューも完成しました。切り抜けていると安心していたものの、確実にスタミナ切れを起こしていました。

ふさぎ込む姿を目の当たりにして思っていたのは、あまりに若いと精神が持たないといったところ。何もかもが迷走する中、盾になって、犠牲を背負い込んだのは、田渕駅長だったと言えます。つないで見せたこと、やり過ごしたこと、守ったことには違いなく、認めたいところです。彼がいなければ、潰れてしまったのかもしれません。

阿瀬駅長の誕生

田渕駅長が転職する話を聞いたものの、冗談半分に聞いていました。彼がやめると決断したら、あなたが駅長をやりなさいと言われたものの、やめずにやってくれるのではないかと思っていたのです。ところが、ある日、辞意を伝えに、田渕駅長は訪ねてくれました。即座に準備へ向かうものの、不安な面が多くあることに気づきます。

まずは、本業のプログラマが務まらなくなってしまうこと、自身の健康問題への対処、地域での役割がこなせなくなること、即座に困難さが迫っているものの、生活が安定する部分もあるように感じ、駅長になることを決めました。わずかな時間など、くれてやっても良い。人生で振り返ったときに、ちゃんと帳尻が合うように考えます。

駅の問題点も気づいていました。体質の改善、接客の基本姿勢、人件費の削減、売れない店の雰囲気を取り除くこと、発信へのこだわりを持つこと。答えは、すべて、昔に見た、道の駅が持っています。食堂の隅っこに飾られた1枚の写真、テレビ出演した際に撮られたもので、当時の勢いやできることの多さなどを感じていました。

仲村会長から最初に言われたことは、好きなようにしろということでした。自身の能力を最大限に発揮せよという意味です。当座の問題点に対処しつつ、難しいことは何一つない、一つずつ置き換えます。一番最初に取り組んだのは、観光協会からパンフレットを持ってくることでした。情報コーナーは、香美町の宣伝で埋め尽くします。

売上の動線がぼやけていました。セルフサービスの範囲を小さくし、食堂メニューの写真を入れ替え、農産物には説明を付けます。土産は並びを換え、ピックアップしてポップを書きました。商品を揃えることにもこだわり、新しいものは積極的に置きます。営業時間も、準備でき次第、前倒し、閉店を切り上げることは一切しません。

阿瀬駅長、イベントに取り組む

イベントも試していきます。年末年始がちょうど重なり、営業することを決めました。営業するだけで、棚からぼたもちのような儲けになると見て、実際、売上が伸びてくれました。年越しそばなど、限定メニューの提供には、手伝ってくれる人までありました。少しずつ、賑わいのある店へ、基本的な能力を伸ばすことへ粛々と取り組みます。

取り組む理由は簡単、越冬です。寒い時期、本当に、売上が激減するのを知っていたので、小さく営業させたかったのですが、誤算が生じます。なんと、20万ほどの売上を確保したにも関わらず、資金が手元に1万円しか残らなかったのです。頑張った甲斐むなしく、打ちのめされましたが、対策を迫られることになります。

思いついたのは、矢田川節分まつり。2/3まで2週間もなかったのですが、駅長主催のイベントを組み上げていきます。幸いにして、道の駅村岡ファームガーデンという見本があり、今までの取り組みを目の当たりにしてきました。田丸社長のあとを追いかけます。絵になる風景、宣伝効果を意識して、自転車操業が続きます。

何が駅長を突き動かすのか

香美町を観光の町にする。射添地区で観光を打ち立てる。すでに、観光業で生きている自身としては、駅長になったからには、成功ストーリー以外は考えにくいものとなっていました。必死に事をなすのは、駅長の性分でもあり、男だったら一つにかける。当然、道の駅を立て直すことは、自身の今までを集大成した取り組みでもあります。

田舎で何もないまま、何かを引き起こすにはどうしたら良いか。同時に、人との和を大切にして、優しく人と生きることができる。自身で体現し、実際に、数字を持って打ち立てる。発信を続けながら、店の基本性能を取り戻す。田舎で一番やりたかったこと、田舎を輝かせること。人生の答えを提示する頃合い、好きなことをやっています。

村に対する気持ちもありました。駅長は、現在も、配りものを担当する、雑用もこなしています。道の駅は、ある意味、村のものでもあり、駅を守ることは、村の未来をつないでいくことにもなります。村の雑用は、始めてからずいぶん経ちますが、辞めるつもりはありません。駅長の仕事も、ほぼ、同じ意味合いを持つと解釈しています。

売れない店と牽引役の駅長

売れない店には、理由があります。我が道の駅にも、至るところへはびこっています。光の速さで改善していますが、抜け出すのは大変です。物理的なことは、マンパワーで切り抜けたらよろしい。問題は、論理的なこと。すなわち、人間の思考です。駅長だけが突っ走るわけにはいきませんが、あまりにひどいので突っ走ることにしました。

野村五十六、やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ。そばで実践している人がいて、大変な参考になります。仲村会長はもちろん、むらおか振興公社の田丸社長、そばの建設会社社長の今後武司社長、みな、自分のやりたいようにやるだけでなく、そっと、加減をしてくれるところへ、人のこころを感じます。

同じようにやってみると、不思議なことに、驚くほど、何でもできる上、手伝ってくれる人がいたり、支えてくれる人がいたり、たくさんの縁が拡がります。だんだん、賑わいのある駅になっていて、等身大のまま、ただのおっさんになると決めた田舎暮らしが大成していると気づきます。人のマネジメントができれば、勢い良く改善が進みます。

人を使うことへ、答えを探す

客を優先する、スタッフを優先する。すべては、駅長次第。田舎は、文化として、スタッフが優先される傾向にあり、お客様ファーストが浸透していない瞬間も多く感じます。サービスを組み立てるとき、客がどんな体験をするか、考えるわけですが、スタッフの発想が追いつかなくなるわけです。しっかりと誘導することが求められます。

駅長を見ているのは、客や地域だけでなく、スタッフも同じです。粘り強く改善を続けていくこと、どの程度の力で改善するか。できることをできるように、村の区長、岡本一正さんが教えてくれたことです。基本的に客を優先するものの、時には、規模を縮小して営業したり、スタッフを守ることだって、必要とされています。

禁じ手の自虐と集客の意味

誰しもが苦労をするのは当たり前なので、当初、真正面から商いをすることへこだわりました。冬の間に、立て直すため、仕込みをしたかったのです。通常、一定の時間が必要で、早急な舵切りをしたかったものの、越冬ができないと分かったとき、必要だと転換しました。売上が足りないときに切れるカードの一つ、禁じ手の自虐で訴えます。

禁じ手であるのは、当然です。売れない店は得てして、客に負担を強いる店でもあります。サービスしないため、満足度が低い。売上が伸びないまま、唯一、つぶれそうだと吹聴することで、人情に訴える。もはや、商いではなく、物乞いになっています。なりふり構っていられず、客に負担を強いることですら、平気でやっているのです。

自転車操業とは、危ない橋を渡ることで、いくらかの犠牲がつきものです。すでに、いくらかの犠牲となっているのが行政です。後ろ盾になってもらい、様々な分野で支えてもらいます。助けられて前へ進むと、責任や借金となって現れます。荒削りな店へようこそ、接客に心を込めようと思える大きな理由になっています。必ず、改善を誓います。

人生で役立ったことを駅へ活かす

貧乏な幼少を過ごし、悔やんだものです。環境が十分ではないと知りつつ、長男として兄弟を牽引していました。中学生の頃、担任だった大久保圭子先生が苦労は買ってでもやるものと、何度も教えてくれました。自身のやってきたことを肯定してくれたのだと思います。茨の道が好きになり、人がやりたくないことをやろうと決めました。

国語の安原尚子先生が褒めてくれました。論理的で厳しい先生でした。美しい日本語を使うことへ執着するのは、先生の教えがあったからです。伝わる言葉を考えるのも、駅長の趣味です。文筆家は無理でも、多くの文章を書くのが好きになりました。百人一首で学び、短い言葉へ込める想いには、大きな拡がりがあることを知りました。

家電量販店に勤め、若手の店員、高橋さんと出会い、交渉や勝負における絶妙なバランスを叩き込まれました。売れる基礎を教えて頂きました。ダイエーやクロネコヤマトで荷受けのアルバイトをし、10tトラック数台を1時間でこなすなど、膨大な仕事の片付け方を学びました。定物定位など、仕事を選び、落とし込む技術を学びました。

プログラマの仕事が駅でも役立ちます。疑わしきは検証せよ。膨大な問題を瞬時に捉え、分類、同時に片付けつつ、個別の問題すべてに答えを瞬時に示す。仕様や設計で、整理や折衝の基礎が備わっていったと思います。無茶苦茶な状況にも、真正面から動じずにいられる、例外なく、公平であるのは、プログラマの経験が支えます。

田舎へ越した際、岡本廣治さんと出会い、生き方を学びました。人並みを何度も説いてくれました。一番つらいとき、味方になってくれました。観光協会でお世話になった、西村美春さんの存在も大きいものでした。田舎暮らしで大切にすべき、義理と人情を学びました。人情は、正義に勝ると目の当たりにしたものです。

人生で、自身が望んで、叶わなかったことは、一度もないんです。長い間、人生を悔やんだからこそ、残りは、一度しかない人生、ぱーっといこうと思います。どんなにマイナスなことも、プラスへ転換したい。すべて、自身の心構えでこなせます。駅の難しい状況が自身を輝かせてくれるので、感謝の気持ちでいっぱいなんです。

数字との格闘

どの程度の売上があれば、地域が認めるのか。往時、3000万/年ほどあることは確かめられたので、3000万を目標に決めます。少なくとも、陰りの見え始めた、交代劇の起きた頃まで、差し戻す必要があります。直近の駅長たちがつないでくれたことへ報い、苦しい時期を支えた駅長へ、感謝の気持ちを、しっかりと営業することで示します。

当然、1200万ほどの店で、3000万へ到達させるのは大変です。就任1期目となる、29年度は、昨年と同一に維持させ、30年度は、1500万を目標、着実に達成させることで、2000万を越えることも、5年以内に実現できるよう、目処を付けます。幸いにして、基本性能の改善、川の駅になること、発信力の向上と、やることが明確です。

1ヶ月目の売上こそ、落ちましたが、2ヶ月目となった1月は前年同月比の150%となり、順調な滑り出し。勢いを維持したまま、2月の数字も加味できれば、新駅長のちからとなるわけで、しっかりと現在の品質のままに営業を続け、信頼を取り戻していくこと、サービスの改善で、満足してもらえる駅を作っていきます。

・・・続く!?

こちら、あゆの宣伝部です

あゆの宣伝部、今日も一喜一憂。

周辺ライブカメラ

周辺観光情報

 

静かな山間で四季折々の川の幸を堪能。
兵庫県美方郡村岡町/あゆの里矢田川

http://www.kkr.mlit.go.jp/road/aiai/autumn36/station1.html